日記・あたろうですが何か?

氷河期世代の夫婦ブロガーの夫の方が書いてる日記

あたろう(あたパパ)はヤンキー説について

どーも、あたろうです。

 

いや、この場では、あえて「あたパパ」と自分の事を呼びましょうか。

 

私のXのポストの内容を踏まえ、あたパパはヤンキーでは無いか?との憶測を呼んでいるので、この場を使い、ヤンキーでは無い事を、つらつらと書きたいと思います。

 

高校時代・・・

 

私は首都圏の高校に通っていました。

 

そこは定時制高校で、工業高校でした。

 

周りに居るのは、野郎ばかり。

 

高校の生徒のほとんどは、ヤンキーでした。

 

1時間目あたりまでは、車とバイクの音が、高校の駐車場をにぎわせる学校でした。

 

あの当時は、私の世代は、ヤンキー=かっこいい、という間違った認識がまかり通っておりまして。(まぁ、かっこいい、憧れるが間違っているかどうかという定義もあやふやですが)

 

あっ、因みに自分が通っていた高校は、制服が無く、私服でした。

 

まぁ、みんなガラの悪い事、悪い事。

 

何故か、この高校では、持ち物検査と言うのが、1度もありませんでした。

 

もしやったら、3分の2くらいは、停学になってただろうな。

 

煙〇、ですよ。煙〇。

 

定時制高校なので、4年制なのですが、毎年、他の生徒の停学だの、中退(更迭)だの聞いていたし、先生に襲い掛かって、退学処分なんていうのも居ましたね。笑い事では無い気がする・・・

 

さて、自分(あたパパ)ですが・・・

 

勉強が出来ると、校内では有名だったらしい。

 

よく知らないが。

 

ある晩、下級生たちが、うちの近くでタムロ(古い表現)していて、何となく散歩していたお袋が、下級生たちに話しかけ(お袋もよく話しかけたな~どういう事?)、お袋が「うちの息子も〇〇工業の生徒だよ」と話したら、「おばちゃんの息子は、〇〇工業の秀才だよ」と言っていたそうな。

 

市内で一番ばか高の秀才と言われてもねぇ・・・

 

自分は生徒会の役員もやったことがあります。

 

 

さて、あたパパの当時の風貌から説明しますかね。

 

上着は基本、派手なトレーナーでした。ズボンはダボッとしたチノパンはいていました。靴はバスケットシューズコンバースとか)だったな。

 

冬場は、背中にロゴが大きく書かれた、コズビーの黒のジャンパーでした。

 

2年生くらいから、原付に乗っていました。

 

ホンダのディオ。

 

バイトをしていたので、お金は持ってたな。

 

ガソリンスタンドで働いていました。

 

髪の毛は、染めていました。

 

喧嘩はしなかったな。

 

女の子が周りに居なかったので、彼女なんてもってのほかでした。

 

 

ゲーム風に「あたパパ伝説解体センター」

 

 

解体!

 

 

あたパパは「ヤンキー」では、無い!?

 

良く分からない。

 

結論が出ない。

 

自分ではヤンキーではないと思っているが、風貌はヤンキーだったかも・・・

 

友達は少なかったので、つるむことは無かったし。

 

あれですよ、あれ。

 

朱に交われば赤くなる

 

って奴ですよ。

 

良く分からない結論だった💦

 

 

今は普通のお父さんしています。安心して下さい。

 

風貌も普通です。

 

言葉使いは、たぶん普通に柔らかいです。

 

 

しかし、嫁子からは、

 

「若い頃、ヤンキー文化に染まっていた節が、ときたま出る」

 

とのこと。

 

 

結局、真相は、ご想像にお任せしますわ。あははははっ

 

自称、優しい男、あたパパでした。